【2020まとめ】転職してフルリモート勤務になって趣味サイトが収益化して子どもが生まれてYoutuberになってVTuberになって家を買った

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2020年もそろそろ終わりを迎えるので、今年の出来事を振り返ってみることにした記事。
ついでにクリスマスなのでぼっちじゃないよアピールも含めて。
半分以上自慢話みたいなものと言えるため、スネ夫が自慢話をしているときのBGMを流しながら読んでもらえると雰囲気がより腹立たしくなると思う。
一言で言えばタイトルどおりなのだが、ひとつずつ順を追って振り返っていく。
当然ながらリアル蝋燭氏の話なのでVTuber方面からの方は閲覧にはご注意を。
あと、長い。

転職した(2月)

これまでの記事で何度か書いている話の繰り返しにはなるが、2019年9月末で前職を退職し、4か月のブランクを経て2月に転職先に入社した。
以前の記事には書いていなかったが、実はこの期間、配偶者氏は妊娠しており、そんな中でメンタルをやられて仕事を辞めて4か月も無職をしていたということになる。
普通に考えてヤバい。非常にヤバい。ただのヤバい奴。
尋常でない心持ちで転職活動をしていたことは言うまでもない。
ガチめに死にそうなメンタルだった。
入社前には一切子どもの話はしなかったのだが、ご時世事情によりフルリモートになり、その上フレックス勤務制度もあって結果的に育児では何かと助かることとなった。
本当に、すんなりリモート勤務に移行できる会社に入れてよかったと思う。

趣味サイト収益化(3月)

これまで開発・運営してきたゲーム攻略サイト、EZ5000TRIGLAV IndexesをGoogle AdSenseに申請し、広告を設置して収益が得られるようになった。
現状ではサーバー維持費の2倍以上の収益が得られており、大変ありがたい限り。
6月には誤BANによる収益大幅減少もあったが、ゲームの盛り上がりもあって収益は増加傾向にある。
ここで出た収益を使って何かしようと思い立って、VTuberを始めることにしたのが後々の話。

子どもが生まれた(4月)

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my new ogear…

半年以上隠していたが、実は子どもが生まれていた。
そもそもお前既婚者だったのかよとVTuber方面の人には思われてそうだが、聞かれなかったので言わなかったみたいなアレ。
4月に生まれたわけだが、この頃には既にご時世事情が始まっていたので何かと苦労した。
それなりの難産となり、どうにか無事に生まれたかと思ったら我が子は呼吸補助が必要だったり、配偶者氏は出血しすぎて輸血したりで生まれた後もかなり大変だった。
20代半ばの出産でもリスクは全然あるということを実感させられた。
産後すぐには面会もできず写真を撮ることもできず、一週間ほど経ってようやく入院中の我が子の顔を見に行くことができた。
子どもは2週間ほどで無事に退院して、しばらくは配偶者氏の実家で暮らし、我が家に迎えたのは生まれてから1か月後だった。
運が悪かったらと思うと、今こうして3人で平和に暮らせていることに泣きそうになるね。
子どものニックネームはガッちゃん。則巻ガジラは関係ないよ。

さて、ここからは怪文書になってしまうと思うが、どうして子どもが生まれたことを隠していたのか、どうして今になって公開したのか、理由を説明する。
一言で言えば親に知られたくなかったからである。
私の両親は私のネット上でのあらゆる活動を観測しており、ツイート程度でも伝わってしまう。
知られたくないという面もあるが、もっと言うと隠しているということに親に気づいてほしく、それでネガティヴな影響を与えたかった。
どうにかして後悔させたかったとか、そんな程度のしょうもない理由。
以前の記事では両親に対する気持ちを「虐待」といった言葉で表現していたが、実際のところ明確にそういった出来事があった記憶はない。
喧嘩になるようなこともあったが、一生恨むような酷い出来事があったわけでもないし、実際冷静に考えると(冷静に考えることができる限りでは)今はそんなに恨んでいるわけでもない。
よく分からないが、両親のことを一生憎悪すべきだと命ずる、呪いめいた何かが私の中にあるように思える。
そんなこんなで最後に会った際には、「孫の顔を見られると思うなよ」と言い放って、それからはもう二度と両親には会わないと決めている。
とまあ実に理不尽な経緯で子どもの存在を隠していたわけだけど、なんで今更公開する気になったのか。
単にこの一年間で起きたライフイベントが怒涛すぎてブログのネタとして美味しいなと思ったのがひとつ。
もうひとつは、親によって私のインターネット上での活動が阻害されるのも気に入らないなと思ったから。
言ってしまえばこれだけの話なのだが、この項目だけかなりの回数書き直しており、そのくらいには冷静さを保つのが何故か難しく、とてもとても書きにくい話だった。
多分親もこの記事を見ると思うので、せっかくだから最後の挨拶を書いておくとしよう。
父上、母上、十数年間お世話になりました。生んでくれて、育ててくれてありがとうございました。自分が親になって初めて、子をもった親の気持ちがわかりました。大切に大切に育てます。ろくに親孝行ができなくてごめんなさい。さようなら。

ゲーム実況Youtuberになった(8月)

どんなことがあったかは以前の記事で書いていた話を参考にどうぞ。
これまでの記事では隠していたのだけど、実はVTuberになるのを目指してゲーム実況動画を始めた。
この頃に投稿した動画が実は今も伸び続けており、トリグラフのパート1は現時点で500程度の再生数、しかもYoutubeの検索でほぼトップに出るほどになった。
絶妙にマイナーな需要を拾う戦法をこの頃から考え始めた。

VTuberになった(9月)

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Candle Doeちゃんの圧のある顔

VTuberになるための準備を始めたのは7月の下旬。
古くからの友人であるビスさんに依頼し、デザインを詰めていってイラストを描いてもらった。
イラストが完成するまでは、去年から開発していたTRIGLAV Indexesの完成を目指してプログラミングをゴリゴリ進めていた。
8月上旬、ちょうどいい具合にイラスト完成前にサイトの開発が終わったので、この頃からLive2dモデリングの勉強を始めた。
同時進行で動画編集の勉強も始め、9月上旬には前述のYoutuber活動がスタート。
トリグラフ実況動画の完結後、完成したイラストからLive2dモデリングを始め、1週間程度で完成。
そしてまず始めに動画投稿をしようと思っていたのはPCゲームのThe Forest。
しかしFaceRigやOBSと同時に起動するとスペック不足でまともに動作しないことが発覚。
そこから新しいパソコンの入手のためにしばらくの時間ができ、その間にツイッターアカウントの運用を始め、ほかのVTuberさんのLive2dモデリングを引き受けたり、トリグラフのRTA動画を作ったり、自己紹介動画を作ったりした。
ツイッターでは同じような新人VTuberさんをフォローをすればフォロバが返ってきてフォロワー数は簡単に増やせた。
しかしどれだけフォロワー数を増やしても動画の再生数が伸びない。
もっと言うと、ツイッターからの動画のアクセスはほぼ0であった。
このままではまずいような気がして交流の輪を広げていくが、結局ツイッターから自分のコンテンツにやってくる人はほぼいないという状況は変わらなかった。
VTuberの活動を始めてからもうすぐ3か月になるが、従来のよくあるVTuberとは活動方針が根本的に違うのだから伸ばし方も違うだろうと考えて、自分なりのやり方で伸ばしていこうと思った。
そもそもVTuberである必要はあったのかというと、活動方針の面で言えばあんまりなかった。
それでも、ツイッターやDiscordで交流したりとか、ほかの人の配信を見に行ったりとか、コラボの予定が入ったりとか、VTuberにならなかったら得られなかったであろう楽しさを多く経験できているので良かったと思っている。
ここ1か月くらいは風邪とそこから始まった喘息のようなものにより活動がまちまちとなってしまっているが、これからも絶妙にマイナーだけど需要のあるコンテンツ作りをしていくし、他のVTuberさんとの交流も楽しんでいくつもりなので、今後ともどうぞよろしく。

新築の家を一括払いで買った(12月)

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新居にてタイルカーペットを敷く愉快な仲間たち

思うに、一番頭おかしい勢いだった話。
11月頃、ポストに入っていた戸建て住宅の広告から唐突に全てが始まった。
それを見た配偶者氏が、今の家で子育てしていくの厳しくない?と言い出した。
ちょうどその頃、私は夜間の寝室からの騒音苦情によって仕事部屋とリビングでデスクトップパソコンとその周辺機器(ディスプレイなど含む)を毎日のように移動させるアホ運用をしていた。
パソコンのキーボードの音すら寝室に響くというので、夜間の作業時はリビングにパソコン一式を30分くらいかけて運んで作業していた。
これをあと何年続けるんだと心底うんざりしていたので、これはチャンスじゃなかろうかと思って配偶者氏に住宅の購入をホイホイ勧めた。
広告には値段も書いていなかったのでまずは資料請求をしたところ、思っていたより遥かに高かった。
思っていた値段の倍近くだった。
げんなりしつつも一度思い立ったものはすぐには諦められず、配偶者氏を説得して後日不動産屋に行って中古のマンションなりを探そうという話になった。
今の収入だとローンの返済が現実的なのがいくらだとか、逆算して予算がどのくらいだとか、部屋数、広さ、立地など条件をつけていき、最終的に絞られた候補が3つ。
日を改めて候補の物件を見に行くことになったのだが、それまでの数日間に配偶者氏は住宅の購入を渋り始めた。
保育園の希望はもう提出済みで、審査待ちとなっていたのが何より大きな要素だった。
候補の物件はいずれも第一希望の保育園からはやや遠く、自転車を使っても毎日通うのはなかなか大変な距離であった。
そんな話を聞きながらも諦めの悪い蝋燭氏はせめて見学だけでも行こうねと説得し、まあ参考程度にならという気分で物件の見学には行くことにした。
結果どうであったかというと、ちょっといいなとは思いながらも候補の3件はいずれも配偶者氏的には決定打に欠けるものであるとの結論だった。
しかし3件目を見終えたのち、不動産屋のおっちゃんが「いい物件があるんですけど、見ませんか?」とお誘い。
条件的には立地がかなり離れるが、なんと予算の範囲内で収まる新築の戸建て住宅とのこと。
半信半疑な心持ちで見に行ってみたら、配偶者氏はこの新築戸建て住宅にあっさり一目惚れした。
周辺の環境も全然悪くなく、買い物にも困らず、駅もそれなりに近くて便利。
グッジョブ、不動産屋のおっちゃん…!!
そこからの動きは早かった。
他の人に取られぬよう購入の意思決定の手続きを早めに済ませ、ローンの申請をし、保育園の希望を変更し、配偶者氏の実家に報告し、引っ越し業者の手配をし、住宅のオプション購入手続きをし、毎日のように何かしらの動きがあった。
実家に相談というか実質報告をしたところ、まさかの無利子でお金を貸してくれるという話になり、ローンの審査をキャンセルすることになった。
手続き的には一括払いで家を買うことになった。
不動産屋のおっちゃんも驚いていた。
一千万単位の現金なんてそうそう見るものじゃないね。
配偶者氏の実家で私名義でお金を借りることになるためしっかりと書類を交わすことにし、11月末には年末の帰省も兼ねて実家に向かうことになった。
ご時世事情的にあまりよろしくはないが、私も配偶者氏も仕事で都市部に行くようなこともなかったので大丈夫だろうということで実家に泊まった。
まさかの実家の義父殿に夜間うっかり窓を開けっ放しにされたことで風邪をひいた。
妙に寒いし乾燥すると思ったらそういうことだった。
風邪は私が一番重く、週明けには一日仕事を休むほどだった。
心配だったが実家の皆さんは全然平気だったらしい。
どうやら我々の家の環境が良すぎて身体が貧弱になっていたようで。
どうにか回復したと思ったが、今度は咳が止まらなくなった。
咳が止まらない中も引っ越しの準備を進め、友人の力を借りて新居に大量のタイルカーペットを先んじて運び込み、タイルカーペットを部屋の端に合わせて切り、引っ越し当日には昼過ぎから夜まで立ち合いをし、こうして無事に新居への引っ越しが完了したのである。
実に1か月程度で広告1枚から新築戸建て住宅の購入、引っ越しまで実現してしまった。

そして今

そんなわけで11月半ばくらいからめちゃくちゃに忙しくてまともにVTuber活動ができていなかった。
もう荷物の片づけも終わったので、ようやく再開できる。
しかし、実家に泊まった際の風邪から始まった咳がまだ続いており、配信はちょっと難しいという状況。
一応病院には行ったが、おそらくアレルギー性の喘息の類いだろうということでお薬を飲みながらしばらくは様子見。
飲み薬で治らないようなら吸入薬だってさ。
風邪も喘息もなかなか大変だけど、高い買い物したから仕方ないねと諦めがつくのがありがたいところ。
ということでクリスマス記事でした。

 
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